スタッフ/MVパートナー便り

見えない世界での親子エピソード~のあ~

皆さまこんにちは、のあです(*’ω’*)

先日母の日だったという事もあり、
まさにぴったりなお話がありますので今回はその話を。。。

先日母の誕生日もありましたので、
お母さんと会ってきました。

 

 

 

四年前に亡くなっていますけどね。

 

 

そうなんです、
母は見えない人として会いに来てくれました。

前回のゆきりんの記事にも書いてありましたが、
僕と母も毎日喧嘩の不仲親子でした。

 

もっと言えば、
そのまま僕は15歳で家出をし、
実家に戻ることはありませんでした。。。

(居場所などの連絡はしてましたよ!!計画的家出パターンです。笑)

 

 

 

しかし家出した三年後の18歳の時に母が発病し、
4年間の闘病の後に亡くなったのです。

 

 

あと一週間以内だと余命宣告を受けたとき、

仕事を切り上げ真っ先にタクシーに飛び乗った
その次にしたのが「shinさんに連絡を入れる」でした。

 

 

17歳からshinさんにはお世話になっておりますが、
当時不仲であるという話もしていたので、
こんな時だけ必死に連絡するなんて僕はずるいし弱いなあ。。。

なんて情けなさを抱えながら病院に駆けつけたのをよく覚えています。

 

 

その時に言われた言葉で、

僕はこの

見えない世界でお仕事をする


と覚悟が決まりました。

 

何をしてくれたのかというと

shinさんが意識不明の母に探りを入れてくれ、

母の要望を伝えてくれました。

 

 

 

結果的には全てその通りとなり、
言われたとおりに母の要望を叶えていき、

全てが終わった直後にスーッと息を引き取りました。

 

 

 

最後まで意識不明で物理的には会話できませんでしたが、
確実に僕の話は聞いていたし、母は満足していました。
あの最期に僕たちの親子関係のわだかまりも消えたのです。

 

 

そうしてなければこの世に未練だらけの母でしたので、
もっと見えない人として重く彷徨い、

僕も何かしらの影響が出ていただろうなと思います。

 

 

 

以来、命日か母の誕生日には会いに来てくれますが、
生前よりもぶっちゃけ仲がいいです。(笑)

 

 

お互い水に流せたようなそんな気持ちで、
すっかり仲良しです(笑)

 

 

 

それまでは、
僕も幼少期から感じている感覚にずっと苦しめられ、
本気で呪われていると思っていましたし、
自分の人生のためにコントロールしようとはすれど、

 

 

この感覚を使って仕事をするなんてまっぴらごめんだ!!!!

と頑なに思っておりました。

 

 

ユタ族の嫁に来いと言われても、
イタコの才能があると神童扱いされても、
頑なに逃げてきました。

(あの時は本当にそういう方が何故か周りに多かったです、、苦笑)

 

 

 

でも母の一件で僕のカルマと言っていいほどの

ずっと抱えてきたのもを手放すことができて、

僕も母も救われたとき、、

「この感覚は使いこなすとこんなにも大きな力になるのか」

 

と、

「こんなに人を人生まるごと救えるんだ」

とひれ伏しました。

 

本当にそんな感じ。

 

 

「スピ系」だとか「気持ち悪い」とか言われるのが嫌で
この感覚を隠して普通の人のように振舞ってきましたし、
「普通の人の様に生きたい」が将来の夢でした。

 

 

あの日がなければ僕は今ここにいないんだな、、、
と思うと感慨深いですね。

 

 

PS

 

去年の母の誕生日の時、

前夜に買ったケーキを日付が変わる前に完食してしまい、
めっちゃ拗ねていたのですが

今年はちゃんと手を付けずに待っていたので
許してくれて安心しました(笑)

 

 

それではまた来週(@^^)/~~~