スタッフ/MVパートナー便り

自分が自分を虐げていただけ ~さゆり~

みなさま、こんにちは、さゆりです!

 

先日、自分と向き合う作業の中で、

自分の声にちゃんと耳を傾けるって、
(自分自身、奥…中心部?と仲良くなるというのでしょうか)

大事だなと、しみじみと思いました。

 

自分の声に耳を傾けてみて

結局、自分自身を虐げていたのは自分であったこと、

自分を守ろうとしていたことも

結局、自分を傷つけていたのだと気付かせてもらいました。

 

自分を虐げていたこと、

悲しい思いをさせてしまったことに、

心から申し訳ない思いになり、

涙とともに「ごめんね」と謝罪しました。

 

 

そしてこの流れの中で、

この宇宙には“自分しかいない”という感覚も入ってきて、

そこで私は一人ボクシングのように、

何か(妄想で作りだした幻想の敵)と懸命に闘っていて、

でも、その攻撃は全部自分がくらっていてボロボロになっている自分の姿が・・・

自分で自分を攻撃していて、

自分の感情で自分自身を虐げていたのだと

思い知りました。

(何かされた、言われたなんてことは痛くも痒くもないことで、
 それに対して抱く感情の方が悲しいという思いになり、
 以前、Shinさんから教えていただいた「何人たりとも・・・・」の意味がようやく、
 やっと、「あぁ…そういうことか・・・」となり、結局、自分なのだなと思い知りました)

 

また、

自分にどんな特徴があろうが、

自分がどんなクセをもっていようが

私は私であり、

それを“悪”と捉えているのは、

レッテルを貼っているのは

私自身なのだということにも気付かせてもらえて、
(この“気付かせてくれた感覚”側は、良い・悪いという感覚が一切ない感じで
 「私は私」という、とてもシンプルな感覚でした)

 

なので、まさに、

「〇〇るものが〇〇て、〇〇〇るものが〇〇する」

なのだと、思い知った瞬間でした。

 

(他にも、なかなかうまくいかないあることに関しても、
 「あぁ、“私みたいな人が”“私なんかが”という思考があるからなんだな・・・」
 と、ここでも「結局、自分か」ということに気付けたり・・・)

ちなみに、
“自分しかいない”は

“ぼっち”の感覚や意味ではなくて 笑

“あなたは私”“私はあなた”というような感覚…というのでしょうか…

だから、

「寂しい」とか「ひとりぼっち」という感覚っておかしいよね?

と、違和感とともに入った感じでした。

 

 

そんな、自分と向き合う流れの最後に、

 

だから、

あたなはどうしたいの?

どうしていきたい(創っていきたい)の?

どうありたいの?

 

という問いかけが響き、

今もそれは、ずっと響いているような感覚があります。

 

また、翌日に、

依存型のありようは、

自分を生きられていないこと・・・放棄?しているような感覚と、

衰退していってしまうような感覚があり、

そうではなく、

自分の意識を外に広げていくように

自分の宇宙を創っていく?拡大…発展?させていくような感覚を

大事にしなきゃとも感じました。

 

まだまだ課題はありますが、

このときの感覚を大事にしていきたいなと思いました。

 

 

今、もし、

感情に支配されてしまっていたり、

悶々としてしまう感じや行き詰まり感、

楽しめていないなと感じていたら、

自分の声に耳を傾けてみるとよいかもしれません^^

 

 

それでは今週もみなさま、一週間お疲れ様でした♪

ステキな週末をお過ごしくださいませ^^♪♪